hijikigohan’s diary

おうさまのみみはろばのみみ

『特撮ガガガ』と母娘トラウマ

昨年の漫画は『パタリロ!』をぼちぼち読んでいた。隙間時間に完結型、内容忘れても大丈夫、話数もあって暇潰しに最適。100巻以上あったのに気づいたら連載に追いついた。
年末年始は久々にまとまって『特撮ガガガ』を読んだ。オタクあるあるコメディの中に、母娘バトルが軸としてあって、それがどうにも個人的につらい。叶ちんと母とのバトル、全く同じではないけど身に覚えが思い出されることがつらい。子どもの頃の大問題なんて「それくらいのこと」ともいえる、でも、叶ちんのように囚われているのは私だけじゃないと思う。
心理学系の育児書のあとがきに、30代長女は母との歪な関係のために家族のあり方や人付き合いに基盤がなく、子育てや家族関係に悩む人が他年代より増えているとあった。そしてそれには、時代背景として幼少期に共働き世帯の急増や核家族化といった家族構造の変化があったことが影響している、と。
うちの母もずっと仕事をしているし、祖父母とも別居だった。仕事が忙しく、祖父母に頼りにくい状況で子育て、しかも上の年代はその状況を経験していない。当時は母も必死だったのだろうと同情もできる。保育士として働き、公務員として父以上に稼ぐことを自負する母だった。子育ての専門家なのに自分の一人目の子どもがまるで思い通りにならないことを認めたくもなかったのだろう。とはいえ、こっちだって一人の人間なんだ。多少の同情くらいでは、長年抱えた複雑な感情との折り合いは付かない。
それぞれの家庭で人の気持ちや境遇に全く同じはありえないけど、長女・母親バトルのケースにある程度似た傾向が見受けられる事実。極めて私的で、個人的な問題だと思っていたことに、社会的な時代の流れ、家族構造の変化が関わっていた可能性を考えると感慨深いものがある。しかしなんでまた、その弊害は家族の中でとりわけ長女・母親の関係に集中しがちなのか。
あと、ランドセルが赤黒二択だったのなんて、年月の中ではほんのいっときの事で、それで揉めて悩んだのもごくごく一握りの人。それでも同じ事で同じように一人悩んでいた人たちが当時、集めれば一定数いたという事。当時は「変な子ね」で済まされていた事が集まって問題として認識される構図は、発達障害HSPの特性が昔より広く知られるようになっている事とも似ている。今時の子どもには今時の困難があるとしても、パステルカラーのランドセルを見ると絶対とされていたことも変われるんだとうれしく思う。
そして大切な宝物が、親にバレれば焼き捨てられたという経験が、滑稽にも見える必死のオタ隠しにつながるという事。隠れキリシタンは見つかれば終わり。好きなもの、大切なものは絶対に隠さないと、見つかれば吊るし上げて笑いものにして捨てられる。これも身に覚えがありすぎる。あくまで漫画、フィクションだから誇張表現だと思う?毒親ひどいありえないと世の中の特殊例として切り離す?家庭内のことって、驚きの独自常識がまかり通っていたりするし、それは外から簡単に見える構造ではない。親子の相性にもよるし、他の「家族」を知らない子どもには気づけない。離れてようやく気づいたとしてその価値観に浸されて育ってきた人格に今更何ができるのか。『特撮ガガガ』、大好きだけど切なすぎる。
あとあれだ、ゴールデンボンバーのガガガガガガガは良い曲だ。

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