hijikigohan’s diary

おうさまのみみはろばのみみ

特別支援教育について

仕事として、一般的な学校に通う、障害のある子を見ている。

「一般的な学校」とわざわざ書いたのはつまり、支援学校ではないですよということ。

 

今年の5月から始めたパートの仕事だ。

地域によって、学校サポーターとか、支援員といった名称で呼ばれているらしい。

自治体によっては何らかの資格を持った人でないとなれなかったりもするそうだ。

障害者の教育をサポート、と考えると、専門的な知識が要りそうな気配がするのもうなづける。

しかし、たまたま私の住んでいるところでは特に何の資格も経験も不要で、その上勤務時間が短くて保育園のお迎えにぴったりの、今の私にお誂え向きなお仕事であった。

 

 

面接時に「障害のある子というと、どんな子がいると思いますか?」と尋ねられた。

私はとっさの頭の回転が壊滅的なので、

「いろいろな…いろいろな障害が、それこそいろいろと考えられると思います」みたいなことを言ったと覚えている。

今思い出しても、我ながら頭の悪い受け答えだった。

結局、いろいろしか言ってないじゃん!っていう。

帰宅してから、小学校の同級生にいた補聴器つけてる子とか、大学で同じサークルにいた足が不自由な子とか、知的障害があって支援学校に通っていた友達の弟のこととかを思い出して、「あぁ…そういうのを具体的に言えたら良かったのかなぁ」と激しく反省したものだ。

あんな、アホみたいな答えじゃなくて。

 

ま、アホみたいなことしか言えない未経験・無資格者でも、ともかく採用されたわけですよ。

同僚は支援学校の元教師さんだったりして、私みたいなのが紛れ込んでいていいのやらと思いながらも、半年もすれば何となく、こんな感じでよろしいのでしょうかって感じのことは掴めてくる。

で、実際のところ、今私が大事だと思っているのは、その子をひたすら見ること。 

知的障害があるからどうだとか、情緒障害があるからどうだとか、ADHDだからどうだとか、知識はそりゃあ持ってて損することはないと思います。

でも、障害の枠組みだけでは、ほとんど何も見えてこない。

同じ障害でも人によって、程度も違えば、目立つ特徴も変わってくる。

さらにはお年頃だとか、クラスの他の子との付き合いだとか、家庭環境だとか、性格だとか、ちょっとやそっとじゃ測り知れない要因が関わって、その子の独特の困難を生んでいる。

それこそ、いろいろでいろいろでいろいろなんです。

これをおばさんが一人、授業に入り込んでサポートするといったところで、100%のサポートは無理です。断言できる。

なるべく助けてあげたいとは思うし、それが私の仕事なわけだけれども、うまくやるってのが具体的にどういうことなのか、掴めない仕事なんですよね。

とにかく、見る。

その子の状態と反応を、よく観察する。

どういう時にどうなっているのか。

どうしてみたらどうなるのか。

そういったことを少しずつ次の対応の時に活かしていければいいのかなぁ、と。

担当する子が何人かいるので、すべての子のあらゆる授業に出るわけにはいかないし、地道に時間をかけて関係を作ったところで、新年度からは担当が変わったり、生徒が卒業したりってこともあり。

非常に地道で成果が見えない。

 

今日はもうお迎えタイムが来ました。

これに関する話、続くかも。

仕事については日常的にもやもやもやもやしておりますので。

もちろん、個人情報や特定につながるような出来事には触れずに考察していきたいと思います。

ちなみに今回、試行錯誤で目次と見出しを入れてみました。