hijikigohan’s diary

おうさまのみみはろばのみみ

周りが皆自分より幸せに見えて仕方がないときに。

ストレスフルです。

うまくいかないことが山盛りです。

今の仕事、絶対的に私向いてない。

毎日顔をあわせる夫が、こんな人じゃなかったらいいのにとしょっちゅう考えてしまう。

こんなときに、SNSのお知らせ(積極的に見ているわけではない)で、昔の友達の華々しい活躍や幸せそうな様子が目に入ると、妬み、嫉み、僻みに狂いそうになります。

ちなみに、妬み、嫉み、僻みは、三位一体で襲ってくると言います。

(三つの「み」というダジャレです。解説は蛇足)

 

まわりがみーんな幸せそうに見えるときって、あるんですよね。

他の人たちの生活が、実際のところどうなのかなんてわからない。

私だって、何も知らない人からは、そこそこ良い暮らしをしていると羨ましがられることもありうるかもしれない。

要するに、断片的なことしか知らないから、他人の生活の羨ましいところばかりが目につくものなのです。

とりわけ自分が最低な気分のときなんてそんなもの。

だいたい、何もかもうまくいかないと後悔と自責の念にとらわれているけれど、自分で卑下するほど、周りの人は私を役立たずで邪魔なだけなんて思っていないことだってある。(もちろん、その方が多いと信じたい)

 

書いていたら、妬み、嫉み、僻みの急流が少し弱まってきた気がします。

書くことって大事。

自分の気持ちを、客観的なものにする。

言葉の形にするだけで、気持ちと思考の間に距離ができて、自分がそういった感情を持っているのだということを自覚できる。

そして様々な可能性を書き出す中で、はじめは鬱々としていても、そのうち前向きな可能性にも目を向けることができる。

私にとってはこれ、精神安定上とても重要な作業。

 

あれ?

ブログで収入得たいとかほざいてたのはいつのことでしたっけ?

これじゃあ、ストレス発散のために書き散らかしてるだけじゃない?

目的のために何か儲かりそうなことを書くのって、私向いていないのでしょうか?

早々に諦めるなんて意志薄弱なんでしょうか?

まぁいいか。

王様の耳はロバの耳なのです。

古来より、心の中でもやもやするときは、井戸なり地面なりに向かって叫ぶしかないのです。

私にとって、今のそれはここ。

ゴミ箱か!っていう。

こんなものを公開してしまっているけれど、良いのかしら。

他人のゴミから生活を伺って楽しめる方なんて、ごくごく一部ですよね。

でも、どんなにニッチでも、ゼロじゃない。

割れ鍋に綴じ蓋の需要と供給があることを、経験から私は知っている。

だからいいのです。

私は書きたいことを書く。

これは仕事じゃない。

人目を気遣って体裁を整えまくるのなんて、まっぴらごめん!

本音を言えば、仕事でも、好きなことだけをしてお金をもらえるような人になりたいんですけどね…。

理想ですよ、そりゃ。

好きなことは仕事にしない方がいいなんて、それこそ旨味を知っている人が他の人を近づけさせないために辛い側面も主張しているだけにしか聞こえない。

だけど、なりたーい!って、夢見心地でつぶやいているだけじゃダメなんですよね。

私自身は、どうなりたいのかを宣言することすら大の苦手だったので、まずはココからなんですけど。

問題はココから。

具体的にどういう状況を目指すのか。実現するためには何が必要か。そのために今しなければならないことは何か。

しっかり考えた上で、継続して実行に移すことが大切なのだと思います。

ちょっと今すぐはキツイな…。

時間がないな…。

休みの日くらい休みたいな…。

そんなこんなで、もやもやグータラすること30年。

はぁ。

「人生はいつだって、今が一番若い」

って言葉が身にしみるのは、そこそこ年をとったから。

はぁ。

See you again!